エディプスの椅子

 国民の祝日は素晴らしき哉。しかしながら悪党共の絶好な活動日和になるのは如何なものか。健全なる行事を妨げる気持ちは微塵も無いが、無頓着に騒ぎ立てる企業及び報道機関には異を唱えたい心持ちを有している。

「訳分からないけど、要するに屋敷に戻る気はないって事?」
「その通りだ」

 Exactly。肩を竦めて言うディックの姿に、ちょっと殴ってやりたいとジェイソンは思った。そろそろ湿気が篭もり苛々が募る時期だ。しかも青少年2人が話し合うには狭い室内ときている。
 父の日の事をディックに相談したのが間違いだったかもしれない。プレゼントについては親身になって助言してくれたが、彼自身の予定について問うとこれだ。
 別に2人の仲を取り持ってやろうという気持ちは無かったが、見ていて余り良い気持ちはしない。厳格な父と反抗期の兄を持った弟が、恐らく今のジェイソンには1番近い存在であった。
諦めて1脚しかない椅子の背もたれに寄りかかると、ぎい、と嫌な音を立てて世界が回転する。
「言い忘れていたが俺には新しい椅子でいいぞ、兄弟」
「…来年の誕生日には買ってあげるから。それより早く修理して」
 背もたれならぬ床に全体重を任せてしまったジェイソンは、ベッド上のディックを見やる気力もないままそう言った。



 結局彼の勧めで花を買ったが、彼に椅子は買ってやれなかった。
 自身の腹の下で潰れた椅子よりも、遥かに上等なものに腰掛けながら、ジェイソンはゆっくり脚を組む。眼前のベッド――矢張りディックのものと同じカテゴリーに入るとは思えない――に眠る男の横顔は、花を捧げたあの日よりも少し痩せて、目元も少し疲れを滲ませている。
 あの日のように彼へ花を捧げるのは簡単だ。懐のナイフを取り出して用いれば良い。シーツにはきっと鮮やかな薔薇が咲く事だろう。むしろその為にジェイソンはここへ訪れたのだ。あの日とは異なりノック無しで、代わりに一足早く薬剤入りの紅茶をプレゼントして。
 卓上のカレンダーは、彼の最期の日に相応しい月日を教えてくれる。ジェイソンが父のように親しみ、そして憎んだ男だ。欲するままに与えてやればいい。
 そう思いながらもジェイソンを椅子に座らせているのは、カレンダーの傍らに置かれた古びた写真と、その前に置かれた1輪の白薔薇と、眠る前に執事へ呟かれた言葉だった。

――同い年までもう1年だ、アルフレッド。

 写真の男よりも1歳だけ若い彼に、憐憫の情を掛けた訳ではない。悪党どものように中途半端な残り年を気にした訳ではない。ジェイソンは改めて心中でそう繰り返す――取り出していたナイフが懐に収まったのは、そんな理由からではない。彼にもっと相応しい方法がある事を思い出したからだ。
 ジェイソンは立ち上がる。暗がりに浮かぶ白薔薇が一瞬誇りたげに見えたが、潰しはしなかった。単純に掴み散らすよりも、望まぬ真紅で染め上げる方がより無残に感じたからだ。そしてその真紅を搾り出す為の道具をジェイソンは持ち合わせていなかった。
「感謝するよ、ミスター・ウェイン」
 銃弾。鉛色の、或いは夜の生き物に似つかわしい銀色の、或いは彼の思い出に値する真珠色の。
「来年の今日にはプレゼントしてやるからな」
 それより早く――彼には何を求めるべきだろうか。
 来年の自分という存在に対する答えさえも持たぬまま、ジェイソンは窓の鍵を開ける。脚を掛けた所でふと振り返り、「それ」を掴み取ると、彼は今度こそ屋敷から闇へと飛翔した。



「あいつめ」
 珍しく早朝の光が降り注ぐ中、腫れぼったい瞼をそれでもしっかり持ち上げて、ディックは呟くと言うよりも唸る。部屋の外から中に、玄関からベッド脇にと近付けていった「それ」は、狭く湿気臭い室内には不釣合いな程に立派で、そしてディックにも見覚えのある代物だった。
「…中古品でもいいなんて言ってないぞ」
 背もたれのナイフを引き抜けば、中古品の呼び名が可哀想な位のアンティークが誕生する。
 ディックはひとつ溜息を吐き、肩を竦めて椅子に腰掛け、次の瞬間に回転する世界と床にぶつかる痛みを両方味わった。

久々に短めでさくっと終われました。
エディプスはそうとは知らずに父を殺して母と結婚しますが、蝙蝠の場合どっちも兼ねている気が。
今更ですが性質悪いな蝙蝠。

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