CONCERTINO

 先程から興奮した実況を流しているのは、茶色の丸っこいラジオだ。経た歳月に合わせて程好い艶が出ているとは言え、戦前の品と言われても納得出来るようなクラシックさだが、局から遥か離れた郊外にまで明瞭な声をお届けしている。
 ルシウスはかつての自信作を指で撫で下ろし、そのままスイッチを落とした。お蔭で旧知の友と茶器が奏でる、硬い協奏曲がよく聞こえる。相変わらず黒の似合う丸い背中を見やって、ルシウスは唇の片端を持ち上げた。
「活躍を聞くのは久し振りだ。元気そうで何よりじゃないか」
「何をおっしゃいます。お仕事上では最もお側にいる貴方が」
「その皮肉、30年前に聞いた覚えがあるな」
「29年前です」
 他の者なら冗談と思うところだが、この男が言うならば真実29年前なのだろう。黙って背中を見ていると、長身白髪のジョン・ブルは振り返り、きらりとその目を光らせた。
「ジョークに決まっているでしょう、お座り下さい」
「…ブリティッシュジョークは良く分からんね」
 首を振りつつルシウスは椅子に腰掛ける。数年前の大火では家具1つ残さず見事に焼けたと言うが、数十年前と変わらない座り心地だ。すぐ横手にある大きな窓も、掛けられているレースのカーテンも、それらの向こうに広がる庭も、記憶の中にあるものと違いを探す方が難しい。
「変わったのは蝙蝠だけか」
「何か?」
「いや、何も」
 紅茶の注がれたカップを軽く掲げ、ルシウスは誤魔化し半分に口を付ける。矢張り変わらない味がして、彼はしばし目を閉じた。
 もう少し経てば、美しい影がスカートの裾を翻し、微笑みながらやって来るのではないか。窓の外では子ども達のはしゃぐ声が聞こえ、更には奥の部屋から、くしゃくしゃの白衣を着た痩身が――
「私達は年を取りましたよ、ルシウス」
 目を開けばいつの間にか、向かい側にアルフレッドが座っている。
「ブルース様は出て行かれ、戻られて、邸も新調されました」
 ポットの湯気越しに見る顔は、先程のものより随分と優しげな気がした。湯気の所為かゆらりと曇ったその姿に、ルシウスはつい、瞼を擦った。
「思い出の雫ですか」
 彼らの間柄にはそぐわない、穏やかな声にくくっと喉が鳴った。掌を目から外し、振ってみせる。
「いいや、老眼から来る霞み目だ」
「……年は取りたくないものですね」
 アルフレッドはたちまち憮然とした――否、いつも通りの表情に戻った。それを見届け、ルシウスも油断なく黒い瞳を閃かせる。
「君こそ、その内ポケットにある眼鏡は何だね」
「眼鏡でございますが」
「伊達じゃないんだろう。もう変装する必要もないからな」
「無論の事。あのような虚飾からはとっくの昔に離れましたよ」
「その割には楽しげだったがねえ」
 ふん、と言わんばかりにアルフレッドは窓の外へと視線を移す。横顔の輪郭に当時の面影を見出しながらも、今度はルシウスも目を瞑らず、同様に庭へと顔を向ける。折良く分厚い雲が別れたらしく、細いが豊かな早春の光が、まだ目覚めきらぬ庭を照らした。
「…枯れた連中には眩し過ぎるくらいだな」
 光芒は一瞬であったが、それでも2人はしばし、庭を見つめていた。



 紅茶のポットが空になり、菓子も欠片と砕けた頃、ルシウスはさて、と立ち上がる。
「お送り致しましょうか」
「君が?断る。まだ命が惜しい」
「マッハで走る車を送り出してきた方が何を弱気な」
「またミサイルでも撃つんだろう?」
「致しませんよ」
 相手がいない限りは、と言ってアルフレッドはルシウスに上着を掛ける。ルシウスは大袈裟に肩を竦めた。
「やれやれ。使う君も君だが、原案の彼も彼だよ」
「…私がもう少々、鑑賞する映画の内容にも気を配るべきでした」
「だからと言って忠告したら、スパイものの次がSFだ。もっと性質が悪い。息子とは言え、彼もまだあれには適わないだろう」
 妙な所で凝り性なかつての友人に、ルシウスもアルフレッドもつい額を押さえる。技術者としてはこの上ない存在であったが、たまの頼み事もこの上ない、上限知らずで参らされた記憶が山ほどある。
「そう言えば、あの計画はまだ健在なのですか?何という名前でしたでしょうか、あの――宇宙要塞は」
 アルフレッドは思い出せなかったようだが、最も巨大にして無茶だった物の名を、ルシウスははっきりと覚えていた。不吉なる死の惑星は、流石に現実に作るには無理があり過ぎたし、用途も物騒過ぎた。
 しかしルシウスが答えるより早く、部屋の奥から電話の音がアルフレッドを呼ぶ。
「失礼」
 さっと身を翻したアルフレッドからは年齢など微塵も感じられない。コール3回以内に受話器を取れる彼は、実は瞬間移動でも身に付けたスーパーバトラーなのではないか、という思いがちらりと脳裏を過ぎった。
「ルシウス」
「うん?」
 アルフレッドがヴィランと戦う想像――些か地獄絵図だった――から我に返ると、当の執事がルシウスを招いている。
「ブルース様からです。宜しければ相談したい事があると」
「ほう」
 すぐにルシウスは受話器を取った。あの盟友の息子に相応しく、頭が良く好奇心に満ち溢れ、その勢いで倫理観をやや外し兼ねない危なっかしさのある男を、ルシウスはアルフレッドが眉を顰める程度には気に入っていた。
「御機嫌よう、ミスター・ウェイン」
『ルシウス?』
「ええ、どうかなさいましたか?」
『頼みがあるんだ』
 地球を救ったヒーローの1人、と先程ニュースで流されていたブルースは、まだ喉を潰したような声だった。恐らくバットモービルの中から連絡しているのだろう。機械の不備か、とやや緊張を覚える。
「何でしょうか」
『新たに開発して貰いたい物があるんだ』
 少し早くなっていた鼓動がすぐ収まる。戦闘の最中か後かは分からないが、思い付いた企画をすぐ教えたくなったのだろう。厄介な事にはなるまい。
「今度はどんなレジャーに挑戦なさるんです?」
『それが、その――』
 珍しい歯切れの悪さで、ブルースは言った。
『宇宙に行きたいんだ』



 受話器を置いてひとつ呼吸してから、ルシウスはアルフレッドに向き直った。
「アルフレッド、今日の晩餐は盛大に頼む」
「日頃から正式な晩餐に劣らぬ品は出しておりますが、何故ですか?」
「それは勿論」
 ルシウスは笑った。数十年前、初対面時から変わらぬ、悪戯っぽい笑顔だった。
「子どもの成長と、我らが宇宙要塞計画の再利用を祝って、さ」

もっとシリアスになる筈だったのに道を踏み外しました。
映画以来、JLのアレ作ったの絶対ルシウスだろ…という思いが消えません。
ウェイン社のオーバーテクノロジーはもっと地球全体に貢献すべきだと思います。
具体的に言えばもっと蝙蝠グッズに貢献すべき。

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