飼われぬ者

 重たい足音がドアの前で止まった。立て付けの悪いドアは、書類と押収品を持った彼にはやや余るらしい。がたがたと非難を上げるだけで開く気配が無い。思わずノブを掴み、力一杯こちら側に引いた。
「くそ!この忌々しいド――」
 ドアめ、まで言い終わるより先に、ゴードンは闇夜の騎士を認めたらしい。その手に積み上げられていた書類が1枚、はらりと床に落ちかかるのを、ブルースは指先で受け止めた。
「疲れているようだな」
「…驚かさないでくれ」
 大量の書類を抱え直すと、ゴードンは頭を振りながら部屋の中へと入った。
 写真が散らばる机の上は、山となった書類を受け止めるには些か面積不足のようだが、それでもゴードンは小さな一角にそれを押し込む。彼が腰を叩いて一息吐くまで、ブルースは黙って待っていた。勿論、ドアに鍵を掛ける事は忘れなかったが。
「今夜はどうしたんだね?」
「先日の詫びに来た」
 ゴードンが置いた書類の上に、先程拾った1枚を置く。マッドハッターと書かれた文字を視界の隅に留めながら、ブルースはそう答えた。
「先日?……ああ、この件か」
 同じ1枚に目を向けてゴードンが頷く。
 ブルース・ウェインを人質に取ったマッドハッターが、ゴッサムの蝙蝠に叩き付けた挑戦。ゴードンの灯したバットシグナルが呼んだのは、しかし闇夜の騎士ではなく、鋼鉄の男だった。
「来られなかったばかりか、ロビンが失態を」
「君が気にする必要は無いさ。スーパーマンとバットガールが来てくれた」
 それに、とゴードンはやや血色の悪い頬を掻く。
「我々警察までもが操られたと来た。そちらの方が恥ずかしいよ」
「ハッターの帽子は強力だ」
「だが市警に隙があったのも事実だな。…会議で警備体制の見直しを提案したのだが、人手も金も足らなくてね。思うように進まない」
 眼鏡を取ってゴードンが眉間を押さえた。目元の影が色濃いのは何も、部屋の暗さが原因ばかりではあるまい。
「何か手伝える事は?」
「無いな。これは私達の問題だ」
 毅然とした声音に思わず微笑が浮かぶ。彼らしい答えだ。
「何かおかしいかね?」
「いや」
 それでも怪訝そうに見返すゴードンだったが、ふとその目にある輝きが満ちる。髭に覆われた唇の端が、楽しそうに持ち上がった。
「しかし君とメトロポリスの彼が、あれ程親しいとは思わなかったよ」
「…別に、親しいと言う程では」
「そうかな?」
 件の鋼鉄の男が何かしたのではないかと、嫌な予感が心中に過ぎる。だがゴードンは柔らかく笑って言った。
「部下が君を、私のペット云々と言ったのが聞こえたらしくてね。こう言われた」

 『彼は誰かに飼われるような人物ではありませんよ』と――

 そう言うゴードンの声に、かの男の声が重なるような気がした。
「随分と怒らせてしまったようだ。今度会ったら伝えてくれないか?失礼な事をすまないと」
 誠実な光を湛える目に断る事など出来よう筈が無い。だが原因となった自分が、詫びの伝言を快く承諾したと頷くのも、何か妙な気がする。ただ黙して顎を引いた。ゴードンが目を細めて自分を見上げる。
「君は良い友を持ったな、バットマン」
「……失礼した」
 それだけ言ってブルースはケープを払うと、入って来た時と同じ窓へと向かった。



 時計塔のガーゴイル像は先客を迎えていた。靴の踵分だけ地面から離れていた男は、現れたブルースを見て破顔する。その途端、周囲を取り巻く泥のような闇が一斉に退いた。
「やあ」
「市警はもう元通りだ。ハッターもアーカムに送られた」
「それは良かった」
 クラークは満足げに頷いた。挨拶に答えないのを気にする素振りも見せない。気性の違いなのだとは思うが、ブルースは時折、彼と比べて自分の狭量さが嫌になる。
「本部長はお元気かい?」
「ああ。相変わらず忙しくしているが、帽子の副作用などは見られない」
「ならもう安心か」
 ほっと息を吐くクラークに、ブルースはゴードンの言葉を伝えようか迷った。舌の上で言葉を転がしている内に、正面に降り立ったクラークが一足早く言う。
「随分と心配していたよ。君は良い友人を持ったな」
 示し合わせたかのような最後の言葉に、ブルースは思わず眉を寄せた。だがそれが澱んでいた声を喉から押し出す。
「彼にも同じ事を言われた」
「……本当かい?」
 ややあって嬉しげに輝いた夏空色の瞳が、ブルースの心中に気恥ずかしさを広げた。謝罪の件は伝えなくとも構うまい。謝らなくてもこの男は、ゴードンの真摯さを十二分に理解しているだろう。
「じゃあ僕は彼に似ているのかな」
 首を傾げるクラークの顔も体格も、ゴードンとは似ても似つかない。しかし自分の役目に他者を介在させまいとする頑固さや、誇り高さはどこか似通っている気がする。
 スーパーマンが助けてくれた、と言ったバーバラからは、彼に対する好感が見て取れた。両者の共通点が彼女に胸襟を開かせたのだろうか。そう思い巡らせながらも、ブルースは曖昧に肩を竦めた。
「さあな」
「そうか」
 軽く頷いてクラークが浮かぶ高度を上げる。メトロポリスに帰るのだ。揺れるケープの先を見つめるブルースに、ふと彼は片目を瞑った。
「似ているなら、もっと君に近付けると思ったんだけど」
「…私は、誰かに飼われるような人間ではない」
「勿論」
 夏の空を収めた目が、きゅっと細められる。笑みと言うには剣呑な、獲物を定めるのに似た光を宿したまま、クラークが低く囁く。
「それは僕が1番良く知っている」
 口説き文句か睦言か。彼の言葉がそのどちらかであると、ブルースが理解するより早く、クラークが大きな掌を振る。
 ブルースが目を瞬き終わった頃には、既に赤と青の人影はメトロポリスへと飛び去っていた。
「自信過剰なんだ、お前は」
 吐き出した言葉もクラークは聞き取って、1人で頬を緩めるに違いあるまい。
 火照る頬をぐいと擦ってから、ブルースは夜色のケープを払い、ゴッサムの闇の中に歩き出した。

結構前に途中まで書いて放置していたのを再発見。ようやく終わらせました。
飼い主がゴードンさんなのはともかく、ペットという響きが極めて危険です。
蝙蝠なんて飼ったら、今以上にゴードンさんがヴィランに襲われます。

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