赤と黒

「私のケープに触るな」
 にべも無いとはこの事だ。スポーンは肩を竦めながら手を離した。命が宿っているかのように、ゴッサムの王者が纏うそれは、するりと指先から抜けていく。中天高くに輝く満月の光さえ、広がる闇色に吸い込まれていく気がした。
「以前にも忠告した。どう言うつもりだ?」
「別に。目の前をヒラヒラ動いていたからな」
「猫のつもりか。その面には似合わん」
 相も変わらぬ辛辣な口調だ。少しばかり歩を早めてスポーンはバットマンと肩を並べた。狭い路地だが一応、成人男性2人を包むだけの幅はある。だが近付いた距離が気に食わないのか、バットマンのマスクに覆われた目がこちらを睨んだ。
 知らぬ振りのままスポーンは夜の道を滑る。ここは自分のホームタウンだ。彼のものではない。それに今回、情報を得たいのは彼の方だ。自分ではない。
「しかしあんたも忙しい身だ。わざわざゴッサムから飛んで来るとは」
「私の街が生んだ屑だ。他所に片付けさせるつもりは無い」
 特に、とバットマンは続ける。
「貴様にはな、スポーン」
「おい、その屑は5人も八つ裂きにしたんだぞ?あんたの街じゃ少ない人数かもしれないが、地獄に送り込んでやるには十分だ」
「その意見には賛成しよう。だが送り込むのは貴様では無く、法だ」
「あんたが手垢で腐り果てた法典を崇めてるとは思わなかったよ」
「汚れは落とせる」
 その台詞にスポーンは小さく笑った。
「じゃあ、あんたは洗剤か」
「…地獄の使いにしては安っぽい例え方だ」
 笑いを打ち消すようにバットマンがケープを薙ぎ払う。この夜の果てまで続くそれを見つめながら、スポーンは呟きじみた小声である事を口にした。
「生憎とそっちのお仲間ほど詩的なセンスには満ちていなくてね」
「私に仲間はいない」
「JLAは?」
 全米のヒーロー達を結集した組織の名は、ニューヨークのスラムには些か場違いな程に明るく響く。スポーンは空を見上げた。朽ちたビルの合間から顔を出す満月。そこにある筈の正義の拠点は、当然この地上からは見て取れない。
「協力者だ」
「じゃあスーパーマンは?」
 眉のきつく寄せられる音が耳に届く。そんな気がした。上手くいった、と密かにスポーンはほくそ笑む。この男の感情が揺らぐ様は悪くない。
「同じだ」
「単なる協力者?」
「…何が言いたい?」
 そう問い返すバットマンの歩調は僅かに早まっている。遅れまじとこちらも歩幅を広げながらスポーンは言った。
「深い意味は無いぞ。ただ――あんたが俺の誘いを断ったのは、もう相手がいるからだと」
 そこで思わず言葉を切った。これでは自分がまるで、バットマンを口説いているようだ。しかも恋人がいるから断ったのだろうと、難癖を付けてくる嫌な相手のようだ。
 不味いと寄せた眉と、口説くと言う連想に浮かんだ微笑とが、スポーンのマスクを奇妙に歪ませる。馬鹿な奴だとか妙な口を叩くなとか、そんな雑言がきっと向かってくるだろう。
 だが動かした視線の先にある横顔は、予想と異なり何の色も浮かんでいなかった。月明かりの落ちた頬は蝋人形のように白い。仮面越しの目から窺えるものなど無い筈だが、ここではない場所を見ているのだとスポーンは理解した。
「他と変わりはしない」
 低く掠れた声が静寂を破り捨てた。そうは思えないが、とスポーンが言うより早く、闇夜の騎士が唇を動かす。
「それにパートナーがいようといまいと、お前からの誘いを断るのに変わりは無い」
「世界を変えられるのにか?あんたは目的の為に手段を選ばないタイプだと思っていたよ」
「私の内にある手段はな」
 殺す、と言う手段を選択肢から除外し続けている男は、そう答えてからようやくスポーンに目を向けた。仮面越しでさえ痺れる程の力を持つ目。どんな素顔をしているのかと好奇の念が首を擡げる。いつか侵入した彼の意識は、彼自身の現在の姿を見せてはくれなかった。
 だが今はそれを押し殺し、肩を竦める。むき出しの好奇心など、眼前の男に見せればどう料理されるか知れない。それに背後から感じる気配が、遊戯の時間制限を告げていた。
「分かった。俺もあんた相手だと不安でしょうがないからな」
「不安だと?」
 案の定跳ね上がる語尾に、わざとスポーンは軽く頷いた。
「ああ。神経質で口喧しくて、超人能力も無い癖に手を出すスピードだけは――」
 顔面目掛けて死角から繰り出されたバッタランを、伸びた鎖が絡め取る。
「……貴様こそ未熟者の癖に、身を守る速さだけは達人級だ」
 鎖が、奪ったバッタランを背後へと投げた。
 呻き声が響いた。
「さて、屑野郎は見付かった訳だが?」
 スポーンはゆっくり振り返る。マントと鎖がざわめき始めた。路地裏に消えようとする背中目掛けて、飛び出す準備は出来ている。
「援護しろ」
 しかし鎖よりも早くバットマンが飛ぶ。一瞬前のワイヤーを繰り出す音が聞こえなかったら、恐らく本当に飛んだと思っただろう。伸び掛けていた鎖が、じゃらりと音を立てて静まった。
「これだから!」
 舌打ちしてそう呟いてから、スポーンもまた地面を蹴った。
 黒と紅のケープが僅かな一瞬、宙で交差する。
 それが自分達の姿のようで、スポーンは喉の奥で笑った。

かなり以前に書いた話。
どっかで上げたような気もするんですが発見したので上げておきます。
蝙蝠の下半分開きマスクも良いですが、スポン子のフルフェイスも堪りませんね。

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