TAPE MEASURE

「…馬鹿な」
 泥のような敗北感に打ちのめされ、ブルースはがっくりと項垂れた。
 視界の隅に入った広告ではTシャツ姿の逞しい男たちがひしめき合っている。暖房の効いた部屋で見るには暑苦しい光景だ、とブルースは思った。夜の自分や同業者たちの格好は勿論棚上げである。
「まあまあ、重く考える事はないよ」
 その同業者代表から労わりが降って来たが、声の裏に潜んでいるのは明らかに喜びだ。勝者からの情けは侮辱と同じ。圧し掛かる絶望を負けん気で払い除け、勢い良く顔を上げた。
「まだだ」
「まだって?」
「確かに私は、手全体のサイズでは負けた。だがなクラーク」
 眼前の手首を掴む。予期しない動きに戸惑ったか、「え」とも「う」とも付かぬような声が眼鏡姿のヒーローから飛び出す。心なしか鋼鉄の手首に通う脈も、先程より早く感じた。
 だがそういった相手の動揺を無視して、ブルースは自分の手を、彼の手に重ねた。

「…指の長さではどうだ」

 少々愚かしいというか馬鹿馬鹿しいというか、そんな思いが頭を掠めないでもなかったが、それでもやってしまうあたり、ブルースはどこまでもブルースであった。
 そして――

「面白いじゃないか。受けて立とう」

 数瞬前までの動揺も、気弱で朴訥な姿も、クリプトンの彼方へ捨てて来たと言わんばかりの口振りだ。微笑みながらも青い瞳を輝かせ、ブルースと自分の手の位置をクラークは早速調整に掛かる。
 かくして、クラークの机にあったアームレスリング大会の広告と、「手が大きい方が有利だそうだ」という言葉から始まった事態は、拡大の一途を辿る事となった。



「で、気付いたら足の長さまで計っていたと」
「……メジャーを探し始めた辺りで止めておけば良かった」

 思ったより早く見付かってしまったそれを手にすると、もう止めるものは何も無かった。常日頃から感じていた身長差への屈託がこんな形で噴出してしまったらしい。今となってはブルースにもそう自覚出来るが、数時間前の自分は最初の敗北もあり、相当むきになっていた。
「あなたの事だから、どうせ朝まで不眠不休で“勝負”したんでしょ」
 図星である。
 これがディックであるならばそもそも寝不足の原因も言わず、さっさと踵を返している所だが、いかんせん相手が悪い。無邪気な少女の顔で「まあ寝不足だなんて!後でクラークをちゃんと叱っておくわね」と言ってのけるバーバラ・ゴードンの前では、ブルースは誤解を誤解にしておく事が出来なかった。
 わざと答えざるを得ない方向に持っていっているのだと分かっている。分かっているが、放置するのは無理だった。機械で裏付けられた神託の女王には、数年前から現在に至るまで、ブルースも余り強く出られない。

「男の人って皆そうよねえ。細かい事で勝ち負け決めたがるんだから」
 馬鹿よねえ、と言わないのがバーバラなりの優しさである。ただしこの詰まらなさそうな口振りから言って、後でディックなり誰なりに流す気は満々だろう。啜ったコーヒーは、朝早くから呼び出され乾いた唇にとって、少々苦いものだった。
「それで、結果はどうだったの?」
「指の長さでは勝った」
 掌の大きさでは負けた、とは言いたくない。ついでに言うならば、わざわざメジャーで1本1本計った指の太さでも総合で敗北を喫した。
「中指と人差し指では互角だったというのに……」
「何か言った?」
「いや、何も」
 そう、と頷きバーバラは正面に本題の図表を出す。今月に入ってからの犯罪件数と未解決件数のグラフが、例年の傾向と並んで鮮やかに浮かび上がった。
「…でも指の長さだなんて、身体検査だってそこまで細かく計らないわよ」
「だろうな」
「精々……そうね、手袋のオーダーメイドとか」
 ああそうそう、と言ってバーバラは振り返る。夕映え色の髪が肩口でふわりと揺れ、白い頬を明るく彩った。
「指輪を作る時くらいじゃない?」
 貴方の方が詳しいかもね、と暗に含んだ瞳につい、ああこの娘も大人になったとブルースは若干の感慨を覚える。自分の女性関係については眉を寄せ、少し拗ねたような表情ばかり見せていたというのに。
「ブルース?ちょっと、聞いてるの?」
 それでも咎める折の尖った声音は、今も昔も変わりない。数年前から現実に戻ったブルースは、ああ、と深く考えずに頷いてみせた。
「成る程。それ位だろうな」
「ね、だから……」
 だがブルースは過去と思索の世界に片足を突っ込んだままであり、何かを教えようとするバーバラの様子には気付かず――こう呟いた。

「指輪など、私とあいつには無縁の話だが」

 愛や友情を誓う輪よりも、メリケンサックの方が余程自分達らしい。アームレスリングでは不利な条件しか思い浮かばないが、それでもいざとなれば躊躇せず向かうに決まっている
 可能性は万が一とは言え、訪れるかもしれぬその日に備えるように、ブルースは手袋に包まれた指を軽く鳴らした。

「……ちょっと理由が無骨過ぎたと思うわよ、クラーク」
「何か言ったか?」
「ううん、何も」

 微笑んでバーバラは首を振り、視線を図表へと戻す。

 そう無縁でも無かった事に闇夜の騎士が気付くまで、つまり計測した指のサイズを元にクラークが指輪を作り終えるまでには、もうしばしの時が要るようだった。

そして例の指輪に続く。
考えてから書くまで時間が掛かりました。

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